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季刊文科編集委員によるコラム「砦」を一挙公開。

季刊文科49号 砦

ラクなんだもん 松本道介

 楽太郎改め圓楽の襲名披露を聞きに出かけた。ネット、ケータイ、電子書籍の時代となり、人間の肉声を耳にする機会が少なくなっただけに、すぐれた落語家の肉声を聞く時は本当に楽しい。
 圓楽師匠の「浜野矩隨」を聞いて、こんな人情噺も語れる人だったんだと知ったが、忘れられないのは、最初の挨拶の中にはさまれた枕のひとつ。ウロ覚えで再現すればこんなことになる。
 父親が友達と酒を飲んでの帰り、俺んちへもちょっと寄って行けよと自宅に招き入れた。居間へ通されるとソファにはドラ息子がどてっと寝ころがっている。
 昔ならどんなドラ息子でも起きあがって挨拶をするところだが、この節のドラは寝たまんまである。父親はびっくりして息子をどなりつける。すると返ってきた返事は「この方がラクなんだもん。」 「そんなことじゃ、いい高校へも行けないぞ」と父親が言うと、「いい高校へ行ってどうするんだ」と息子が返す。 「いい高校へ行けなきゃ、いい大学へも行けない」と言えば、 「いい大学へ入ってどうするんだ。」 「いい大学へ行かなきゃ、いい会社へも入れない」と答えると、息子は「いい会社へ入ればどうなるんだ。」 「いい会社へ入れば、いい給料もくれるし、やめてからもラクができる。」 「と言っても、今だって俺はラクなんだ」と息子は答えた。
 楽太郎のラク、圓楽のラクにひっかけた小噺だったことに気づいたのはだいぶあとになってからながら、こんなにラクばかりして生きていける世の中がいったいいつ迄続くんだろう!? 「文藝春秋」八月号に出ている三島由紀夫の予言”このまま行ったら日本はなくなってしまう”はやはり当っているらしい。

剣道好き 大河内昭爾

 私は中学時代、剣道が得意だった。正規の授業のほかに、自分から進んで部活にまで参加した。
 一年の折の剣道師範は西郷隆治先生で「にわとり」というあだ名で人気があった。脳天からしぼり出す掛け声は、まさににわとりが首を締められる時の悲鳴に近かったからである。奄美大島で出来た西郷隆盛の孫という噂だった。その先生めがけて稽古にはげむのだから、同学年で私に太刀打ち出来る生徒は一人か二人しかいなかった。相手にしてくれる生徒に敬遠されても、毎時間西郷先生のお相手をさせて貰えた。
 「アッツ島玉砕憤激武道大会」という、ものものしい大会に選手として、中学三年の時四年生にまじって代表に選ばれ、先鋒の役割を果たしている?五年生は学徒動員ですでに県外に動員されて学校にいなかったからだ。
 武徳会道場で足ふみ鳴らして打ち込む私の籠手には定評があった。相手は私の踏み鳴らす足拍子に不用意に竹刀を動かして、私の打ち込むのにまかせた。平素、竹刀をまじえない相手には甚だ有効だったのである。私が選手として先鋒をまかされることが多かったのも、小柄な体に似ぬ籠手のすばやい先手を評価されたからだった。他校との試合には私の籠手はきわめて効果的だったのである。
 中学卒業間際には剣道教師に強く勧められて、武専と呼ばれた京都武道専門学校に進学を決めていた。当時武専は卒業と同時に陸軍少尉任官が約束されていた。受験科目は剣道と国語と漢文の三教科で、私の得意科目ばかりだったから、問題は体格検査に合格することだけだった。
 ところが敗戦になって、武専は廃校になった。周囲が反対していた文学部進学の道が開けたのも武専が廃校になって、にわかに進学先を失ったからである。

勝又 浩

 この五月、久しぶりに前進座の公演「切られお富」を観た。六代目の国太郎を見るのは初めてで、顔のいい人だからちょっと期待もあったのだが、やはりまだ若いせいか固いばかりの優等生演技に留まっていた。先代の国太郎のあの内から溢れてくるような色気は求めようもなくて、話に乗って行けないままだった。結局、蝙蝠安役の藤川矢之輔の一人舞台みたいなもので、いかにも寂しい感じだった。
 前進座は来年八十周年を迎えるそうだが、梅之助のせいばかりではない、若手に花がないから、座全体が八十歳だなあと思わせてしまうのだ。私の子供の頃、つまり昭和二十年代には、長十郎が一言言えば会場がシーンとなりワットなった、あの熱気は何処に行ってしまったのだろうか。ついでに言うと、もう十数年も前になるか、吉祥寺で何かの公演を観たとき、芝居の間中、会場では咳や喉を鳴らす人が多くて呆れたことがあった。観客もそのまま歳をとって、あまり新陳代謝してないのだ。
 この頃はほとんど新派を観なくなってしまったが、昨年は百周年とかで、歌舞伎役者を呼び込んでの記念公演があった。観ていないのに悪口を言ってはいけないが、こちらも今役者がいないのは誰でも知っていよう。むろん何人かはいるにしても、それだけでは芝居にならないのだ。
 こんなことを言うのは、新派も前進座も、結局何だったのか、という思いがあるからだ。伝統歌舞伎への反逆や改良運動から生まれて、しかしそれから八十年百年経って、役目はもう終わったのか、遂に新しいものは作れなかったのか。反逆児を出した本家、歌舞伎の方は一向に衰えないばかりか、若い人たちをどんどん引き付けているのに。
 こんなことを、私は実は文学と重ねて考えているのだが・・・・・・。

松本 徹

  繰り返し上演される戯曲を持つ作家は、強いな、と思う。その時その時、演出家や役者たちが新たな工夫を凝らして、今に甦らせるのだ。三島由紀夫がその最もよい例だろう。
  その戯曲の中でも『鹿鳴館』が、最も多い。三島の生存中でも、文学座だけでなく、新派でも上演されたが、没後はいろんな舞台が見られるようになった。そのなかでもこの六月、池辺晋一郎作曲によってオペラ化され、新国立劇場で上演されたのが注目された。
 この舞台制作上で最も苦労したのは脚本だったようである。三島の書いた字句を一切改変しない約束だったので、そのまま曲を付けると長大になるため、削ることによって対応したが、おおよそ半分に及んだ。
 半分も削って物語の脈絡を保ち、劇的な盛り上がりをつくるのは至難の業だろう。それをこの台本作者は見事にやってのけたばかりか、原作本来の劇的骨組みをよりはっきりと前面へと押し出して見せた。
 鹿鳴館の夜会に自由党の清原永之輔が壮士を連れて乱入する計画を立てていると知ると、政界の実力者影山伯爵は、絶好の機会と捉え、暗殺を企てる。ところが妻の朝子が、清原を説得、計画を取りやめさせる。そこで影山は配下にニセ壮士の乱入を命ずるのだ。「今夜はぜひとも壮士の乱入がなければならん。白鉢巻きがかれらの頚に翻がへり、花やかなシャンデリアのあかりを映して、ここに白刃がひらめかねばならん」。
 そして、「私が歴史を作る」と高らかに言い放つ。
 この台詞が、影山の野望の大きさと、陰謀を凝らす闇を合わせて示し、堂々と歌われる時、強固な意志によって支えられた劇的世界が大きく立ち現れるのを感じた。
 今、こうした野望を正面切って語る男がいるだろうか。

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