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季刊文科編集委員によるコラム「砦」を一挙公開。

季刊文科47号 砦

松本道介

 フランスとドイツは千年以上にわたって隣国であった。むろん戦争もしているが、平和であった時期のほうがずっと長いし、仏独混血の人間もたくさんいる。グリム童話とてその多くはフランスの童謡だそうだ・・・・・・
 それでいてフランスとドイツはどうしてこんなに違うのか。まず第一に言葉がまったく異なる。ひとこと聞いただけでまったく異なる言葉であることはわかるし、音楽も絵画も文学もまったく異なることは言葉と同様すぐにわかる。
 十八世紀の啓蒙主義にしても、フラン語にはそんな言葉はなかったのに実体もあり雰囲気も横溢していた。一方ドイツ語の啓蒙主義は誰もが知る言葉なのに「理性を使う勇気を持つこと」というカントの有名な定義同様、具体的な意味はさっぱりわからない。
 学べば学ぶほどフランスとドイツの違いははっきりしてきて、フランス・ドイツの違いはドイツ・日本の違いより大きいという文章さえ私は書いた。
 そんな思いは今号の「文科」に書いて頂いた井上正篤さんの「カフカ指数」を見てますます高まった。
 フランスのお役所には"カフカ指数"という言葉があるという。なるほど個人がお役所に請願など出しても様々な部署に廻されるうちに何がどうなったのやらわからなくなるのは世界中の役所にあることらしいし、カフカの「城」や「審判」はその種の迷宮性を描いた小説なのだろう。
 ドイツ人はこの迷宮的構造に実在だの不条理など難解な言葉を用いて神秘化し権威をも高めて行く。その一方フランスではお役所の側がカフカ指数なる言葉を考え出し、請願にかかった手間、日数から役所の返答までを数値化しているという。フランス人はなんと明晰明快な民族なのだろう。

二流文学論 大河内昭爾

 「二流文学論」ということばがあった。その反語的、逆説的ニュアンスは意外と共感をよんで、戦後の混乱を背景にしばらく、桑原武夫「第二芸術論」なみの反響が生じたのを記憶している。それを著者織田作之助は「二流文楽論」とも表記していた。
 「大阪の反逆」を主張していた敗戦直後の浪速の人気作家織田作之助の逆説的自己主張をふまえて、いかにも大阪らしい饒舌的活気に満ちたものだった。
 織田作之助は旧制中学の文学青年たちにも、名前のみ先行していたにしろ大変な人気作家だった。「織田作」と愛称してその「可能性の文学」や「二流文学論」など異色のネーミングにおどらされて話題にしたものである。敗戦直後の文学少年にとって、やぶにらみ的存在の文学者「織田作」は『堕落論』の坂口安吾や『斜陽』の太宰治と並んで一種の英雄だった。「可能性の文学」というタイトルも「二流文学論」というネーミングも、戦後の開放的な状況にふさわしい逆説的主張としてうのみにされた。勝手な親しみをおぼえて、私たち生意気な文学青年気取りの中学生にも受入れられて、知ったかぶりで「織田作」の愛称でしきりと話題にした記憶がある。
 太宰治の気取りに比べて、織田作のあっけらかんとした大阪的、楽観的韜晦は対照的に比較された。いずれも戦後の流行作家のポオズを抵抗なく受入れ、都会的軽薄さと東北的屈折をうのみにしていた。大阪らしく文学と正面切らず、「二流文楽論」と「文楽」の字を当てることもあったが、「文楽」になじみのなかったわれわれには定着しようもなかったものの、何にせよ伝統的な気取りを茶化するのが当時の根強い風潮だったから「二流」という反語的ポオズは容易に受入れられ、厳密な詮索抜きにことばのみが歩きだした印象だった。

勝又 浩

 知人に、連句をインターネットでやっている人がいる。詳しく聞いたわけではないが、おそらく添付つきメールで交換し合っているのであろう。ずっと以前には郵送で歌仙を巻いているという人も知っていたが、たしか三十六句、歌仙一つ上げるのに一年くらいかかると言っていたように思う。それに比べればインターネットは格段の”進歩”だ。まず、昔のように顔を会わせる必要がないから、参加者の場所を問わない。しかも郵送―これは、自分の番が来るまで展開が分らないと言っていた―と違って、経過は終始全員に公開されている。そこには観客だって可能だ。つまり「座」が成立するわけだ。
 なる程こんな時代のなかで俳諧の同好者が増えるだろうかと想像したが、そうなればこのインターネット連句は国境を越えるかもしれない。初句が日本語でその付句は中国語、三句目が朝鮮語で四句はフランス語なんていう国際連句ができたら面白い。そしてその国際座が集まって国際運座大会なんか始まるかもしれない。何しろスシやハイクやボンサイが国際語になっている時代なのだから。
 さて、そうなったら俳諧のもろもろの性格、季節季語なんかはどうなるだろう。雪を見たことがない人もある。満月は狼男とセットになった国もある。花が一年中咲いている地方もある。せめて、発祥国日本の顔を立てて発句は必ず日本語のこと、くらいの約束を残してもらいたいが、これも無理だろう。そうして横綱が、人品風格などとは何の関係もない只のチャンピオンになっているように、連句も単なる「短詩のボクシング」になってしまうことだろう。匂い付けでなくて殺し付け、なんてことに・・・・・・。
 媒体が文学の質も変えるという問題、ネット時代の文学のことを考えている・・・・・・。

松本 徹

  個人的なことになるが、ひどく懐かしい思いに駆られる同人雑誌がある。商業雑誌では、こういうことはない。
 その一冊が「文学雑誌」(大阪市)で、85号を数えるが、最近は一年に一冊だから、創刊されて何年になるのだろう。わたしが文学に関心を持ち出したころ、すでに存在していた。
  当時、と言えば、昭和も二十年代、空襲による焼け跡が生々しく広がっていたが、大阪には作家たちが集まる場所が幾つかあり、その一つが帝塚山であった。「朝日新聞」に連載小説をよく書いていた藤沢桓夫を中心にして、長沖一、杉山平一等に、時には織田作之助などが顔を見せることがあったと聞いた。そのグループが「文学雑誌」を出しており、注目され始めたのが庄野英二、庄野潤三といった若い書き手であった・・・・・・。
 生意気盛りの高校生には、格好の話題であったと思い出す。ことに話題のひとり庄野潤三は、わたしが通う学校の教師で、担任であった。
 今回は九十六歳で亡くなった中谷栄一追悼号で、旧制松江高校から同級の杉山平一らが文章を寄せているが、これだけの年輪を刻んだ文章はちよっとお目にかかれないのではないか。七十年、八十年むかしのことが、さりげなく書かれているのだ。
 中谷は大阪府立高津中学以来の織田作之助の友人で、交友をつづった文章が再掲載されているが、それによると当時、人気のあったエンタツとアチャコの真似を、織田と二人でしながら、ミナミの盛り場をうろついたと言う。織田は、エンタツ役を中谷に押し付け、自分はアチャコ役を楽しんだらしい。
 そんな時代があったのだ。久しく大阪へ行っていないが、ミナミには、漫才の真似をしながらうろついている若者がいまもいそうに思われる。

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