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季刊文科編集委員によるコラム「砦」を一挙公開。

季刊文科42号 砦

松本道介

 小坂国継「西洋の哲学・東洋の思想」(講談社)という本が今、私の目の前にある。今年の七月刊行の新刊書で、西洋と東洋の思想や思惟様式の異同を明らかにした本だという。
 私自身も、ここ数年西洋と東洋のものの考えかたつまり思惟形式のちがいに強い関心をもってきたので、書評を目にしてすぐにも買ってみようと思ったのだった。
 本を手にしたところで「まえがき」(この本では「はしがき」)をぱらぱらと見るうちにこんな文章が目に入った。
 「はじめに断わっておかなければならないのは、本書において、筆者は東西の文化や思想の優劣や是非を論じようとしているのではけっしてないということである。第一、そういうことは不可能だし、またやったとしても大した意味があるとも思えない。」
 私は何となくがっかりした。優劣の是非を論ずるなど不可能だし、やっても意味がないというなら、著者はなぜこんな本を出したのかなあと思った。
 この百年ほど、日本人が非西洋の国として例のないほど熱心に西洋の哲学を学んだのは西洋が優っていると信じたからではなかったのか。だからこそ難しくて難しくて翻訳など出来っこないものを翻訳してまで学んだのではなかったか。
 しかし、百年もの間、西洋の哲学を学んでみると、もう昔思ったほどすぐれたものではなかったことがわかってきた。少なくとも私は学べば学ぶほどそんな気持が強くなってきた。それゆえか、著者の小坂氏のごとく、東西の思想の優劣や是非を論じることに"大した意味"がないと見る立場はきわめて特殊なものに思われてきた。
 いや、読む前にこんな感想を述べてしまってはならないのだが、読む前にしか言えないことなので言ってみた。

大河内昭爾

 戦争のさ中の中学生の頃読んだ、橋田東声『傑作選萬葉集評釈』をこの夏気まぐれに手にした。次兄が出征したあと、兄の本棚から持ち出したものである。兄は廊下に面した四つの引き戸を持った書棚に、東京の下宿から送り返した本をきちんと収納して出征していった。都城連隊に入営した兄は一兵卒として隊伍を組んで市内の大通りを都城駅に向かって行進していったが、母につきそって見送った私は帰宅するなり、かねて眼をつけていた兄の本棚にむかった。しかし兄の意を重んじる母は容易に引戸の鍵を渡そうとしなかった。そのいきさつは拙著『抒情についてのノート』にすでに書いたが、「どうせ帰って来ないんだから」とにくまれ口をきいて母を本気で悲しませたのは、少年とはいえ心ないことを口にしたものだといまさら思う。ただ、『抒情についてのノート』(昭31)を刊行した当時、桑原武夫の第二芸術論議の余韻、余波は濃厚で、叙情への抵抗は敗戦後の私の「文学の掟」だったようである。五木寛之さんも雑誌で対談した折、同様のことを口にしていた。桑原武夫の似非合理主義は当時の文学少年を簡単にもてあそんだ。中野重治の『歌のわかれ』という主題も、それに拍車をかけたのであろう。
 中学二年のとき、正岡子規の『歌よみに与ふる書』をよんで、「貫之は下手な歌よみにて古今集は下らぬ集に有之候」の一行に強い刺戟を受けて以来、子規かぶれになって『古今集』はじめ『勅撰和歌集』などを軽視する気持は長く尾をひいて、私の国文学習の大きなさまたげになった。否、根強い不勉強の口実になった。
 それにしても橋田万葉集はなつかしい本である。この秋久々に引っぱり出して頁をくりながら、しばらく往時の読 書をなつかしんだ。

勝又 浩

  「文藝年鑑」の「全国同人雑誌一覧」には小説を中心にした雑誌名が五〇〇近く記載されている。それらが全て定期的に刊行されているわけではないし、また事実上活動を停止しているものもある。しかし一方、「文學界」同人雑誌評欄に毎月送られてくる雑誌は、ひと頃から比べると半減しているとはいえ、今も創刊号がゼロになったわけではない。つまり流動しながらも、日本には常時五〇〇に近い小説同人誌があると言ってよい。
 世界のことを厳密には知るわけではないが、こういう現象は他の国には例がないだろうと思う。数年前、俳句の結社雑誌が全国に一七〇〇くらいあると聞いたが、短歌集団もまたそれに近い数はあるだろう。日本は同人雑誌文化というものを持つ国なのだ。そしてこのことは何も近代になって始まったわけではない。宗祇や芭蕉の旅は、全国津々浦々にまで広がった、そうした結社を訪ね、繋ぐ旅でもあったのだから。
 明治になってから、小説の同人雑誌の元祖は「我楽多文庫」であったが、尾崎紅葉が硯友社を起こしたとき、周辺にたくさんあった短歌俳句の集団に自然に倣ったのであろう。彼らはまだ多分に一人の師匠を中心とした徒弟制度の趣を残していたが、「白樺」になると、もうそれはなくなった。みなが対等の切磋琢磨集団だが、そこにはまた、文学を人生修行の一つだと考え人生修行を文学の基本だと考えた、諸芸諸道に通ずる日本的な芸術観があった。
 日本の文学は、小説は、こういう形、こういう人たちによって支えられてきた。それが今、かなり根本的に変容しつつある。温暖化とやらによって地球環境が激変しつつあるが、日本の文学もまた激変しつつあるらしい。先が全く見えないが、自分がそんな時代に立ち会うとは、夢にも思わなかったのである。

松本 徹

 京都のお盆となると、大文字の送り火が知られている。
 八月十六日、日が沈み、宵闇が深まると、周囲の山々に積まれた薪に火が点けられ、大文字を初め、舟形、鳥居形が赤々と浮かび上がる。そして、燃え尽きるのを見送って終わるのだか、本来は陰暦七月十六日であったから、この火が燃え盛る頃、東山から十六夜月が昇るのだ。
 暦を知っていれば分かり切ったことだが、新暦になって百年余にもなると、忘れてしまう。そのことに気づかせてくれたのは光田邦伸の「徒然草」を扱ったユニークな著書『恋の隠し方』(青草書房)である。
 十六夜月が上るのを知った上であれば、大袈裟な言い方になるが、宇宙規模で都における精霊送りを催していることになる。昔どおりの行事と思っていても、大根のところでは変質しているのだ。
 この著書から教えられたことをもう一つ。──因幡の国に美しい娘がいて、大勢の男たちが求婚したが、娘は栗ばかり食べて米など穀類を口にしなかった。父親の入道は「かかる異様の者、人に見ゆべきにあらず」と、結婚話を受け付けなかった(四十段)。小林秀雄が取り上げ、ひろく知られているが、兼好がなぜこのような章を書いたか、よく分からないというのが正直なところであろう。光田氏は、穀類を口にしないのは木食行にほかならないと指摘する。かなりの荒行で、これを続けると脂肪分が落ち、皮膚は張りを失い、果ては死に至る。このことを入道はよくよく承知していたから、美貌ゆえ慕い寄ってくるような男が、そうなった娘をどう扱うか、見通していたのだと言う。
 なるほど、極端な偏食の娘を抱えた父親の、慈しむがゆえの、断念の物語だったのだ。いや、娘は父親と同じく、既に発心していたのであろう。

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