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中日新聞 夕刊 平成26年(2014年)8月22日

「季刊文科」の編集同人になって
青木健(作家、文芸評論家)

 早いもので今年の十月が来れば、作家小島信夫さんの没後八年である。九月には「小島信夫短編集成」全八巻(水声社)の刊行が始まる。四年前の「小島信夫批評集成」に続く企画である。
 別にこの企画に合わせた訳ではないが、小島信夫文学賞に今年から短編部門を設けた。残念な事に、第八回小島信夫文学賞は本賞の受賞者はなく、塚越淑行さんの「緑の国の沙耶」が佳作に選ぱれたが、新設した短編部門では、小川悦子さんの「伊左衛門の狐」が受賞した。選考委員は本賞と同じく、吉増剛造さん、堀江敏幸さんと私である。
 短編部門を新設したのは、応募作が減ってきたからであるが、第一回の受賞作に大人の寓話とも言うべき狐の変身譚が選ばれた事に選考委員の一人として喜んでいる。
 私は小島信夫文学賞に創設以来関わってきたが、二〇〇六年の第四回から受賞作の発表を「季刊文科」に載せることにした。「季刊文科」三十五号からである。
 「季刊文科」は、一九九六年七月に創刊し、三十五号は○六年七月の発行で、版元は鳥影社であった。編集同人制の季刊文芸誌で、最初は「文学界」同人雑誌評の大河内昭爾、勝又浩、松本徹、松本道介の四人に、秋山駿、吉村昭の二人が加わったものである。
 私は、秋山駿さん、松本徹さんと個人的に知り合いであったが、最初から小島信夫文学賞と「季刊文科」をつなげようと考えていた訳ではなかった。
 「季刊文科」十五号に私の小説「朝の波」が再録され、十七号にやはり小説「コロラドリバーの月」が掲載された。これは松本徹さんの推薦によるものである。松本さんと私は河出書房新社のシリーズ「年表作家読本」の三島由紀夫と中原中也でご一緒して以来の知人である。そんな流れの中で、「季刊文科」を小島信夫文学賞の発表媒体にするという話が纏まったのである。
 「季刊文科」の創刊号は紀伊國屋書店発売だが、二十五号からはずっと鳥影社を版元にしている。今年で創刊十八年にあたる。○六年七月に吉村昭さんが亡くなって、その後夫人の津村節子さんが遺志を継いで同人を引き受けている。大河内昭爾さん、秋山駿さんの体調が悪くなったこともあり、伊藤氏貴さんが新たに同人に加わった。
 私が「季刊文科」の編集に加わるようになったのは一年ほど前からである。大河内昭爾さんの築地本願寺のお葬式に参列した時、編集に関わる覚悟を決めたのである。
 秋山さんは一二(平成二十四)年十一月二十五日夕方、散歩の途中、自宅団地前の交差点で自転車に榛かれた。ちょうど法子夫人が東京都小平市の昭和病院に入院中の出来事であった。私はそのひと月ほど前に秋山さんと数時間食事をしながら話をしていたから、驚いてすぐ連絡し、ご自宅の近くでお逢いした。まだ顔に赤い痣が残っていたが、秋山さんはお元気で、「また世間の風を運んでくれよ」と笑った。
 秋山さんに最後に逢ったのは、防衛医科大学校病院で、翌年の三月、硬膜下血腫の手術の後だった。目の前で頭の手術の抜糸をし、粥を美味しそうに食べ、「サザエさん」を見せながら「これは天才だよ」と話したりした。
 十月七日の秋山さんの密葬に法子夫人のご好意で参列させて頂いたが、同じ月の二十七日、私は脳出血で倒れ、五カ月の入院生活に入った。
 「季刊文科」の編集は第六十三号の「中原中也」特集と第八回小島信夫文学賞の発表からである。

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