『小説 永井荷風』小島政二郎 著
平成19年(2007年)12月9日
敬愛の情がにじむ“幻の書” 文芸評論家 嘉瀬井整夫
人とも出会いは、その人の生涯をきめてしまうほどのものがある。もし、小島政二郎が荷風の作品を読まなかったら、小説家にはならなかったと、その冒頭に書いている。
残念ながら、小島は荷風に認められることはなかったが、敬愛の情は終生変えることがなかった。そして、作品では何といっても「あめりあ物語」であり、ついで「西遊日誌抄」では、アメリカの売春婦イデスとの熱烈な恋愛が語られているが、荷風の青春を知る上には貴重な文献になっていることはいうもでもない。
半面、小島は荷風をきびしく批判し、作品や人間としての生き方についても、加減するところがないようにも見うけられた。が、批判はあくまでも敬愛の裏返しであり、少なくとも、荷風から少しでも褒められたら、小島の態度はがらりと変わっただろう。この作品では「小説 永井荷風」となっているが、部分的にはエッセーの感を抱かせるところもあり、小説として終始したわけではなかった。逆にいうと、そのへんのところが、ほかの荷風論とは一線を画しており、引用の長さもさることながら、ユニークな荷風論となったことは、まことによろこばしい。
また、明治文壇のエピソードを始め、荷風が慶應大学の教授に就任するまでの経緯や、女性をめぐっての裏話など、一々行文を追っていくと、小島にしか書けないところもあり、いまとなっては貴重な文献となったことは、荷風ファンにとってまたとない僥倖(ぎょうこう)といってもよいのではないか。
なにしろ30数年ぶりに、この幻の書が、このたび書肆鳥影社によって、活字化されたことは、文学的にいって、ひとつの事件といっても、決して大げさではない。そして、繊細な小島の感性は、たとえば、随筆「花より雨に」や「日和下駄」の名品を、忘れずに取り上げてくれているところをみても、よくわかるであろう。本書は、ファンにとって外すことのできない最後の荷風論である。
|