文藝・学術出版鳥影社

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書評
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『千利休より古田織部へ』久野治 著
歴史研究 第548号 2007年1・2月新春合併号 平成19年(2007年)2月10日

◎わが著書を語る 久野治

 茶聖と呼ばれる千利休(1522~91)には7人の高弟がいた。後世に“利休7哲”といわれる人びとである。その末席に武将茶人である古田織部(1544~1615)が載せられている。私は長年にわたる古田織部研究から、織部こそ利休茶道の真の後継者である、という確信をもつにいたった。
 そこで、茶道の開山である村田珠光(1423~62)にはじまり、利休という大器の素質を見出した北向道陳(1504~62)そして、利休の師となる武野紹鴎(1502~55)のもとにあって、その過程で古田織部とのかかわりを知ることができた。利休と織部は“対極の師弟関係”である。
 つまり、師からまなぶということは、師をば超えるというほどの力量にいたる、ということではないか、この視点にたって私は『千利休より古田織部』の一冊を世に問うことにした。
 両者の共通するものは、改革精神(イノベーション)で、かつ戦国時代にありながら平和思想の持ち主で、自らの考えにたいしては、権力に迎合することなく、「死」をもって貫いたということである。
 利休は豊臣秀吉(1536~98)により、また古田織部は徳川家康(1542~1616)によって死に追いやられている。これらの原因を探求するばかりでなく、利休茶道における具体的な展開にたいして、織部のめざした茶道を対照的にとらえ、豊富なイラストとともに分かりやすく解説したつもりである。
 今、私たちは21世紀を迎えているものの、あらゆる社会現象は制度的疲労をおこし、混沌と不安の中にある。
 このとき温故知新として千利休のこころ、和敬清寂、古田織部のオリベイズムにまなぶ必要性を、本書で訴えるものである。

『千利休より古田織部へ』久野治 著
朝日新聞 本棚 平成18年(2006年)10月11日

 千利休に比べ、岐阜出身である古田織部の研究書ははるかに少ない。それは、織部が家康により切腹に追い込まれたため、江戸時代に人々から遠ざけられていたことが一因だが、最近は手に取りやすい研究書が出そろってきた。その大きな一角をなすのが、‥‥

『千利休より古田織部へ』久野治 著
中日新聞 中部の文芸 平成18年(2006年)10月3日

芸術家による芸術家論 小説・評論 清水信

 芸術家による芸術家論は、二重の楽しみがある。作者の芸術観がうかがえる上に、拮抗し対立し、また協調し拡大する芸術家像が、未来性を感じさせるからである。
 久野治の『千利休より古田織部へ』(鳥影社刊)は、まさにそういう好著であって、茶の巨人である二人の芸術家と現代の芸術家・久野が三つどもえになっている華麗な様相を示している。辻が花染にモダンアートとルビをふり、織部焼きにアブストラクトとルビをふる作者の中に、二人の巨人のコントラストを超えた文化的視野が見える。織部研究家としての長い薀蓄が実っているのだ。

『千利休より古田織部へ』久野治 著
東海志にせの会「あじくりげ」2006年9月号 平成18年(2006年)9月1日

 小誌おなじみのORIBE研究家・久野治さんから表題の著書を寄贈された。1923年岐阜県多治見市生まれの久野さんは、詩や俳句、絵の才能にも恵まれ著書も多数あるがなかでも古田織部の研究には並々ならぬ情熱を傾けてこられた。昨年12月号の小欄に画文集『オリベ焼き100選』(中日新聞)を寄贈されたが、それ以前にオリベ関連の著書として『古田織部の世界』(鳥影社)『古田織部とその周辺』(同)などがある。
 古田織部は時の権力者、徳川家康によって切腹させられ、一家断絶という過酷な制裁を受けた。徳川家が政権を握る間は”おとがめの人物”として抹殺されたため不明な点が多い。そこで正しい織部像を普及しなければならないと、久野さんの研究が始まったのである。織部の台頭から切腹まで、かかわる多くの人物像を排出しながら謎の部分を明らかにしていく。随所に久野さん得意のイラストも挿入。

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