文藝・学術出版鳥影社

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書評
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『新ロビンソン物語』ヨアヒム・ハインリヒ・カンペ 著 田尻三千夫 訳
讀賣新聞 読書欄 平成19年(2007年)3月4日

評者・松永美穂(早稲田大学教授)

D・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』(1719)がヒットした後、ヨーロッパでは似たような題材の「ロビンソンもの」が大流行した。本書もその1冊なのだが、18世紀後半に出版されるや数十版を重ね、オリジナルを上回る大ベストセラーになったそうだ。ロビンソンが何の道具も持たずにサバイバルしなければならなかった点や、職人としてつつましい余生を送る点など、オリジナルとの違いを探してみるのも一興だろう。物語は父から子どもたちへの語り聞かせの形で進行し、随所にキリスト教的教訓や当時の博物館の知識などがちりばめられている。北ドイツ的なプロテスタントの信仰と、人間の理性への信頼がまだ調和しており、労働や手仕事の価値も賞揚されている。著者はゲーテとほぼ同年代の人だが、ファウスト的人間像とはまた違う明るい世界。理想的すぎる子どもの姿や西欧中心主義には、時にツッコミが必要かも。

『アメリカという名のファンタジー』山口知三 著
毎日新聞 本と出会う 平成19年(2007年)2月18日

19世紀ドイツを「米国移住熱」が覆った 評者・富山太佳夫(青山学院大教授 英文学)

 もしマルクスが今の時代に生きていて、何事につけアメリカ中心の世界の経済や政治をまのあたりにしたら、一体何と言うだろうか。その思索を激烈な言葉にするまえに、自分でさっさとどこかの病院に逃げ込んで、鐵の扉をとざしてしまったがろうか。
 こんな暇な想像をいくらしても仕方がないかとは思うものの、それにしても、トーマス・マン、アドルノ、ホルクハイマー、フロム、マルクーゼと、ドイツ語圏から自由と平等の新天地アメリカ合衆国に(一時的にせよ)移り住んだ知識人は数多い。そうか、俳優をやっていたシュワちゃんにしてもそうだ。と言うことは、こうした有名人以外にも、ドイツ語圏からアメリカに移住した人々がたくさんいたはずだということでもある。(後略)

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『日本的エロティシズムの眺望』元田與一 著
朝日新聞 読書欄 平成18年(2006年)11月19日

評者・陣内秀信(法政大学教授)

 美の基準は民族によって違うし、時代によっても変化する。エロティシズムもしかり。今や西洋的価値観に洗脳された我々が失った日本独自のエロティシズムを著者は正面から論ずる。
 本書は問う。日本十は裸体に関心がなかったか、と。
 西洋美術では、神の時代の中世を除けば、美しき女性の裸体のオンパレード。理想の美が追究され、エロスの世界が表現された。一方、前近代の日本では、女の乳房は男にとって、エロティックでも美の対象でもなかったというから驚きだ。日本の男の乳房への性的な視点は、西洋へのあこがれの結果だという。だが、日本には、西洋のあからさまなそれと違う独自のエロティシズムが育まれたのだ。
 日本には古くから肉体拒否の思想や余韻・余白の美学の伝統があり、そこから女達の表情や容姿から滲み出るほのかなエロティシズムが発達した。それを最も巧みに描いたのが江戸時代の浮世絵。ふくらはぎや太ももの一部を露出させる鳥居清長の女の姿表現に日本的エロティシズムの神髄を見る著者は、次に近松門左衛門の『曽根崎心中』で、男の人形の手が女の人形の素足や肌を触るエロティシズムを艶やかに描く。日本人の心の深層に迫る刺激的な文化論だ。

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『千利休から古田織部へ』久野治 著
朝日新聞 本棚 平成18年(2006年)10月11日

 千利休に比べ、岐阜出身である古田織部の研究書ははるかに少ない。それは、織部が家康により切腹に追い込まれたため、江戸時代に人々から遠ざけられていたことが一因だが、最近は手に取りやすい研究書が出そろってきた。その大きな一角をなすのが、織部焼きのあった岐阜で長年研究を続けてきた著者である。
 黒い楽茶わんをプロデュースした利休の弟子である織部が、かくも多弁な織部焼をどうして生み出したのか。膨大かつ正確な知識による推測で迫っていく様は圧巻。織部焼と茶への愛情もひしひしと伝わってくる。

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『ロマネスクの透明度─近・現代作家論集』高橋英夫 著
毎日新聞 本と出会う─批評と紹介 平成18年(2006年)6月25日

当たりはやわらかく、切り口鋭く 評者・堀江敏幸

 解説、と呼ばれる文章の形態がある。長文の批評や、短い書評のあいだに位置しているもののひとつだが、便宜上そう呼ばれているだけで、実際には、小説や詩以外の、すべての散文の要素が入り込んでくる、きわめて敷居の高い領域だ。読者にわかりやすく説明するためだけにではなく、枚数制限や媒体の特徴を意識した書法の選択など、さまざまな拘束を引き受けながら、なお自然な流れを保って書き手の立場を明確にしなければならない。(後略)

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『南の悪魔フェリッペ二世』伊東章 著
週刊東洋経済 平成18年(2006年)12月2日号

 フェリッペ二世は影が薄い君主である。16世紀、全盛期のスペインの君主であり、その領土は欧州から新大陸に及び、「太陽が沈まない帝国」だった。だが、今日フェリッペ二世の名前は、フィリピンという国名にしか残っていない。
 彼が関係した人物、たとえば妻にしようとした英国のエリザベス女王や、庶子弟で、キリスト教徒がオスマン帝国に勝利したレパント沖海戦の指揮官であるドン・ファンのほうが後生に名前を残している。
 だが、彼は忙しかった。オスマン帝国と戦う一方で、欧州ではオランダやフランス、ドイツでプロテスタントの異端と戦い、本国のスペインでは隠れユダヤ教徒や隠れイスラム教徒の異端の撲滅を図る。
 欧州の異端に与する英国の征服を図るが、「無敵艦隊」は英国沖で壊滅する。
 彼はポルトガル王女や英国女王メアリーなどと4回結婚、戦争で国家を4回も債務不履行に追い込んだ。波乱の君主の物語。

『ベートーヴェンの「第九交響曲」〈国歌〉の政治史』エステバン・ブッフ 著 湯浅史 土屋良二 訳
毎日新聞 本と出会う─批評と紹介 平成17年(2005年)5月8日

国により異なる政治利用、悪用の歴史 評者・富山太佳夫

 桜の花の散る下で、静かに眼を閉じて、『第九』を聞くという趣味も十分にありうると思うのだが、これはどうもおかしいらしい。ベートヴェンのこの有名すぎる交響曲は、各種のバーゲンセールとならんで、今や歳末日本の風物と化しているからか。まあ、議論しても勝ち目はないだろう。せめて負け惜しみにひとつの事実を指摘しておくならば、この曲の初演は一八二四年五月七日のことであった―常識的には、歳末ではないようだ。(後略)

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『ヒトラー暗殺計画とスパイ戦争』ジョン・H・ウォラー 著 今泉菊雄 訳
朝日新聞 平成17年(2005年)3月20日

評者・小高賢(歌人)

 700ページ近い本書の主人公は、ドイツ国防軍諜報部長官W・カナリス。彼はドイツのスパイ活動を指揮しつつ、一方でヒトラーを何とか排除したいというレジスタンス組織の中心人物でもあった。
 ヒムラーなど、ナチス内部の権謀術数が渦巻くなかで、そんなことが果たして可能だったのか。ミュンヘン会談から「バルバロサ」作戦という独ソ戦、そしてドイツの敗北までの、ほぼ10年間の彼の具体的な活動が語られてゆく。

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『ウーファ物語―ある映画コンツェルンの歴史―』
クラウス・クライマイアー 著 平田達治 宮本春美 山本佳樹 原克 飯田道子 須藤直子 中川慎二 訳
朝日新聞 平成17年(2005年)3月13日

 ウーファはドイツ映画史上最大の映画会社である。20世紀初頭、フランスのパテやゴーモン社に続いて、しかしハリウッドのメジャー会社よりは早く、世界の映画の最先端に立った。本書は大判800ページ以上をかけて、ウーファの栄光と没落の歴史を克明に記す。そこには「別の手段による戦争の継続」としての文化史のありようが生々しく浮かびあがる。

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『大都会の夜』ヨアヒム・シュレーア 著 平田達治 近藤直美 我田広之 訳
日本経済新聞 平成16年(2004年)1月4日

 闇が支配していた夜の街に人々はどうやって踏み出していったか。都市の歴史を研究する著書が、パリ、ロンドン、ベルリンなど欧州の大都会の夜の変化を多彩な資料を引用して再現した。

『大都会の夜』ヨアヒム・シュレーア 著 平田達治 近藤直美 我田広之 訳
朝日新聞 平成16年(2004年)1月4日

評者・池上俊一

 気候風土、経済や社会の仕組み、衣食住などについては、近年の歴史学はかなり詳細に検討してきた。だが、一日の半分を占める「夜」の研究が、かくも鮮やかに歴史の闇を照らしだすとは、まさに虚を衝かれた思いである。ジャン・ヴェルドンの『夜の中世史』(原書房)と並び立つ、本格的な「夜の文化史」である。

『つげ義春を読め』清水 正 著
讀賣新聞 平成15年(2003年)8月10日 

今週の赤マル

 漫画界でこと貧乏、絶望、暴走する妄想を描かせたら、つげ義春の右に出る者はいないのではないか。
 1950年代後半から80年代半ばにかけて『紅い花』『ねじ式』などの傑作によって、一部ファンから熱く支持された「つげワールド」を徹底的に解明する本が出た。
 日大芸術学部で漫画論を講ずる著者が俎上に載せたのは五十編。登場人物に描き込まれた微細な線、コマの形状と大きさ、セリフの中身……微に入り細をうがつ分析ぶりだ。
 〈テキストの解体と再構築を全面に押し出す〉と巻頭で宣言する通り、行間ならぬ"コマ間"に自らの仮説をたっぷり盛り込んでみせる。
 売れない漫画家とその妻の日常を活写した『チーコ』では、「過去に妻は堕胎した」と断言。最初は驚いたが、読み進むうちに「清水説」にくみしていた。つげ作品の特質を〈省略の美学にあり〉と喝破するあたりも、論に力があり説得力は十分だ。

『今村昌平を読む─母性とカオスの美学』清水 正 著
映画芸術 平成14年(2002年)冬号 

評者・清水洋二郎

 (前略)本書は写真あり批評ありの、今村監督作品を詳細に分析した労作である。観た映画が本書を読むことによって、文章で立ち上がってくる。今村監督の作品を愛する者には、その映画の手引書にもなる、精緻な「映像文学」の批評書ともいえる。

『ドイツ論Ⅰ』スタール夫人 著
讀賣新聞 平成12年(2000年)8月27日

評者・猪木 武徳(大阪大学教授・経済政策)

 歴史書あるいは時論の体裁をとった優れたドイツ論として、今世紀のA・J・J・P・テーラーやトーマス・マンなどの作品が思い浮かぶ。しかしすでに二百年も前に、現代にもそのまま通じるような新鮮なドイツ論が、文学と政治を天職とするフランス人女性によって書かれたことは驚くほかない。
 原書は四部からなり、哲学と道徳、宗教と精神の高揚を論じた第三部と第四部は、同じ訳者たちによって、すでに四年前に出版されている。今回訳出されたのは序、一般的考察、第一部「ドイツとドイツ人の習俗」である。ドイツの地誌、習俗、南ドイツ、オーストリア、ウィーンの社交界、ザクセン、ヴァイマル、プロイセン、ベルリン等を論じた諸章は、その鋭い観察と洗練された率直さを楽しむことができる。「人を見下す愚かさと思いやりのある凡庸さ」等、独仏人の比較論も名文句に満ちており秀逸である。
 例えば、「どの国においても、優秀な精神や心は非常に稀である。(中略)才能ある人同志はみな同郷の人である。フランス人とドイツ人の違いを正しく感じとるためには、両国の大衆を知ろうと努めなければならない。フランス人は頭に何もなくてもしゃべることができる。ドイツ人は、表現していることより少し多めのことをいつも頭にもっている。」また、ドイツ人の哲学的精神の高さを賞揚しつつ、「数学や物理の学習より、言語の学習がより重要だ、数学的推論ほど人生に適用し難いものはない」、という指摘も反フランス的かもしれない。
 スタール夫人の『ドイツ論』は、一八一〇年に刊行された直後に発禁に会い、三年後にロンドンで出版されるという厳しい運命を辿った。この日本語訳も必ずしも安産とはいかなかったようだ。残った第二巻が一日も早く読者にとどけられることを期待する。訳文、訳注ともに上質である。梶谷温子他訳。

『ヨーゼフ・ロート小説集2』ヨーゼフ・ロート 著 平田達治 佐藤康彦 訳
毎日新聞 平成11年(1999年)12月5日

評者・富山太住夫

 話としては、この東欧ユダヤ人の一家がアメリカに移住するまでを書いたもの――息子の一人は祖国で兵隊となり、もう一人はアメリカに密出国し、娘はコサック兵と関係をもち、もう一人の息子は障害児(のち指揮者となる)、そして妻。作りようによっては波瀾万丈の歴史ロマンともなりかねないものを、あるいはそこまでもってゆかなくても、十分すぎるほどに起伏に富んだ物語を、ロートはいかにも平凡なことのように語ってゆく。なにかしら、とてつもない悲劇を前にしながら、その悲劇に興奮することをたしなめられているような気がしてくる。

『ブッダの民』イサム高野 著
日本経済新聞 平成11年(1999年)8月22日

 黒沢明監督「影武者」のポスターなどを手掛けた広告写真家がチベットを旅した。1982年から8回にわたり二万キロメートルを踏破・そこで出会った人々は顔つきやしぐさ、道徳観などが驚くほど日本人と似た「ブッダの民」だった。
 小さな寺を守る兄弟僧や野宿しながら巡礼中の少女たち。微妙な表情をとらえた肖像写真風の作品は尊厳に満ちた顔でいっぱいだ。

『ヴェルサイユの異端公妃』宮本絢子 著
京都新聞 平成11年(1999年)8月8日

 ドイツの小選帝候の娘として生まれながら、政略結婚でたった一人言葉も通じぬフランスへ、太陽王ルイ十四世の弟オルレアン公のもとへ嫁いだリーゼロッテの生涯を描く。不美人ながら健康で明るい彼女は、愛するドイツを離れることだけでも泣きの涙。おまけに彼女が入った宮廷は享楽と不道徳に明け暮れ、貞潔な彼女に警戒心を抱くさながら適地の様相。が、生来心の素直な彼女はルイ十四世に好かれ、信仰心の厚い筋の通った生涯を送った。後にドイツ人が民族の誇りとした彼女の姿を、彼女が残した膨大な手紙などから克明に掘り起こした。

『ブッダの民』イサム高野 著
京都新聞 平成11年(1999年)7月25日

 超大作映画「天と地と」や黒沢作品「影武者」などの広告写真で知られる写真家は「1982年、初めてインド、ラダック(小チベット)を旅したとき、この地はいつか来たことがある。彼らとは以前会ったことがあると、感じた。子供の頃から心にあった原風景…それがチベットだった」という。そしてそれは、顔つき、しぐさ、くせ、道徳心などが随所と日本人に似ているからだと。
 彼らの背後に写る光景をみればどれも荒れ地と岩山である。荒涼たる地に粗衣と見えるものに身を包んで立つ彼らに、しかし卑しささはみじんもない。そして少年の人なつこい笑顔をみれば確かに懐かしさにとらわれるのである。

『東ドイツ文学小史』W・エメリヒ 著 津村正樹 訳
毎日新聞 平成11年(1999年)3月28日

評者・富山太住夫

 エメリヒの『東ドイツ文学小史』は本体が七百頁ほど―実にうれしい分量だ。東ドイツ40年の文学史をまとめるには適量だろうと思う。「私はこの本では東ドイツ文学という全体から生まれたすべての主だった観点や流れに対してオープンであろうと努めた」。エメリヒは、社会主義国東ドイツの公式の考え方に批判的な距離をとった作家たちに共感することを認めながら、それとともに、公平でかつ包括的であろうとする。その言葉にうそはない。

『ツェラーン、言葉の身ぶりと記憶』鍛冶哲郎 著
東京新聞 平成9年(1997年)10月

 1970年、ツェラーンは、セーヌ川に身を投げた。それから四半世紀余。ホロコーストという個の完全な抹消とそのやみをくぐり抜け、沈黙と灰の言葉を記し続けたツェラーンの詩は、今日ますます貴重なものとなっている。本書は、彼の詩をドイツ文学全体の中に位置づけながら、その秘められた深い言葉の記憶と身ぶりを分かりやすく読み解いている。入門書としても最適の一冊。

『わたしを生きさせてください!』アーノルド・ダガーニ 著 秋山宏 訳
讀賣新聞 平成9年(1997年)10月

 ユダヤ人画家の著書は大戦中、妻とルーマニアからウクライナのナチ強制収容所に連行された。突発する処刑、伝染病の恐怖、監視人の暴行、飢えなどを記録した貴重な日記。夫婦はユダヤ人グループの手引きで収容所から脱走する。抑制された日記体に恐怖や苦渋が流れている。

『うちに子どもが生れたら』佐藤正樹 著
毎日新聞 平成7年(1995年)8月28日

  若いゲーテはアルザス遊学中に純情な少女フリーデリケに夢中になり、数々のすぐれた恋愛詩を生み出した。しかしそのまま結婚をしてささやかな家庭を築く気持にはなれず、結局彼女を捨てて故郷へ帰った。
 そのやましさはゲーテの心に生涯わだかまったようで、後に書かれた「ファウスト」のグレートヒェン悲劇にも反映している。グレートヒェンのように私生児を産んで処置に困った娘が嬰児を殺すケースは当時のドイツに少なからずあり、これに対する刑は広場での公開斬首というむごいものだった。
 本書はゲーテも採集した〝主人と下女〟〝騎士と少女〟の恋の結末としての私生児にかかわる民謡の研究を出発点に、嬰児殺しが法律上どのように扱われどのように裁かれたかを跡づけていて興味深い。
 世間が私生児を見る目は次第に寛容になってはいったのだが、ワイマル公国の要職にあった三十四歳のゲーテは嬰児殺し事件について意見を求められたさい、死刑判決に同意したという。(道)

『人工の冬』アナイス・ニン 著 木村淳子 訳
毎日新聞 平成6年(1994年)8月1日

 アナイス・ニンは神秘と神話とに包まれた作家であった。スペイン人の家で、フランスに生まれ、アメリカで仕事をした作家。ヘンリー・ミラーやロレンス・ダレルと、ブルトンやアルトーと親交があり、さらに有名な精神分析家オットー・ランクの助手をつとめたひと――それだけでもう彼女はまぶしい存在であった。加えて、あの妖精的な顔貌。
 舞台はニューヨーク、ワルシャワ、南仏。描かれるのは若い女優の不倫愛、有名な音楽家とその娘の禁じられた恋、精神分析医の診察室での告白など。

『人工の冬』アナイス・ニン 著 木村淳子 訳
讀賣新聞 平成6年(1994年)7月12日

 アナイス・ニンには、かなり以前から熱烈なファンがいて、私などもその名をしばしば耳にした。しかしこのような完訳は初めてなので、ファンと言っても英米文学専攻の人たちが多かった。今度木村淳子さんの訳で、私たちはそのほぼ全容を知ることが出来るようになった。
 アナイスの魅の力は、一口に言って、硬質の詩的な言語空間の構築にある。本著は「ステラ」「人工の冬」「声」三篇を収めているが、そのいずれもが通俗性を一切排除した、研ぎすまされた言語感覚によって貫かれている。その言語は音楽的な、抽象性と一種のリズムを持ち、時間の流れが空間を構成していくといった、きわめて哲学的な小説なのである。

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