1、福井新聞 読書欄より 平成19年(2007年)7月22日
2、朝日新聞 読書欄より 平成19年(2007年)7月22日
3、西日本新聞 読書館より 平成19年(2007年)9月2日
4、中日新聞 夕刊 芸能より 平成19年(2007年)9月12日
5、人間学を学ぶ月刊誌「致知」10月号 書評・BOOKSより 平成19年(2007年)9月1日
6、南日本新聞 読書欄[郷土の本]より 平成19年(2007年)10月21日
―等身大の日常を移す鏡―
松尾羊一・放送評論家
テレビを野球にたとえるなら、大山勝美は自らもプレイヤーとして生涯一捕手の好位置から、各ポジションに散ったグラウンド内の選手たちの動向を観察した。そして「テレビとはなんだろうか」と、放送現場史を語りに語っている。
大群衆は面白いゲーム展開には熱狂もするが、ラフプレーはブーイングか黙殺で迎え、閑古鳥が鳴く試合もある。見えない大衆が数値化され、それぞれの日常性を踏まえて寄り集まる。壮大にして微少にも及ぶ電波コロシアム、それを放送と呼ぶ。
テレビは茶の間や個室に気軽にやってくる。もちろんタダ(?)である。先行メディアの演劇や映画は、退屈な日常にはない非日常の空間に招かれ、楽しむ(ただし有料)が、テレビは日常(現実)を写す鏡だ。等身大の「日常の中のドラマ化」である鏡を見て、人々は知っているつもりだった「既知」(日常)の世界に「未知」の領域を発見する。
放送を映像ジャーナリズムから分析する学者や評論家は多い。著名は演出家や有名タレントの回顧録風なエッセイ書もあふれているが、どうも全体を見渡し得ていないうらみが付きまとう。勝手なテレビ観が飛び交っている。
大山はテレビという「怪物」をなだめすかし、飼いならす手立てを長い現場生活によって獲得し、そこにさまざまな仮説を抽出しては、テレビ世界を放送人の立場から説き明かす。
前半をテレビ局内部からの制作論としての「テレビ業界編」とし、後半を「人物論」でまとめ、役者やタレント、作家たちは制作現場の、いわば「立ち位置」から説き明かす全480ページの大著である。
放送専門誌や新聞、パンフレット、講義メモとして発表された論文で集約した造本構成だが、既成の論文を単に再構成した書とは違う。主にドラマの制作過程を光源にして集まった事象が時代を映すのだ。そこに不思議な魅力を放つ。特に放送などメディア志望の若い人たちには必読の実践書として薦めたい。
著書は「ふぞろいの林檎たち」など数々のドラマの制作や演出を手がけてきた。電動紙芝居と軽視された草創期、時代を映し続けるドラマ、中国や韓国での指導体験、やらせ問題……。紙誌に発表した文章をまとめ、制作現場が何を考えてきたか、テレビとは何かを伝える。前著『私説放送史』(講談社)では、先人の奮闘や権力と放送の歴史を描いた。「テレビは社会の鏡」。だが、いまテレビ不信を招きかねない現象が起きている。「鏡」を曇らせてはならないという思いが伝わる。
番組作りの心構え問う
放送作家・松石 泉
ローカル局の制作現場は、今、疲弊している。デジタル化への巨額な投資のしわ寄せで制作費が削られる中、視聴率アップというスポンサーの要求は変わらない。また、局のイメージを高めるため各種コンテストにおける受賞を迫られる。こうした量と質、「広く浅く」と「狭く深く」という相反する命題を同時に達成しようにも、予算ばかりか人材も不足。制作部門のスリム化を進める局は欠員が出ても補充しない。現場は日々の業務に追われ、番組作りもルーチンワークとなりがちだ。
そんな制作現場に、番組作りとは何か、それに携わる人間にはどんな心構えが必要かといった、根本的だが忘れてはならない問いを本書は投げかける。「我々は(中略)精神的な産物を作っている」「放送は(中略)単なる『情報カタログ提供業』、現実の『写し伝え業』ではない」といった言葉が、易(やす)き流れに慣れ切った心に突き刺さる。
本社はテレビ草創期から一貫してテレビドラマの演出・制作にあたり、「岸辺のアルバム」や「ふぞろいの林檎(りんご)たち」などヒットを連発した著者が1970年代からさくねんまでに発表した文章を再録した。論文からエッセイ、インタビューまで語り口も違えば、その内容も芸術論のような硬いものからドラマ制作の裏話まで多岐にわたっている。50年近く第一線で手腕を発揮し続けてきた人だけにどの文章も具体的で示唆に富む。数十人のスタッフを動かすドラマ作りの現場の話は、組織論として読むことも可能だ。しかし、最も読者となるべきは、これから放送の世界へ飛び込もうとする若い人たち、そして、今まさに制作現場で働いている人たちだ。
番組は「本我」で発想され、切実するものだと著者は主張する。「本我」とは、センス、賢明さ、洞察力、勇気、包容力や知識など本人の身についた能力や品性などのこと。こうした個人の資質を充実させなければ視聴者に提示できる番組は作れない。まず自分の引き出しを充実させる。それが見るに堪える番組を作るための第一歩であることを本書は改めて教えてくれる。
芸能の本
「業界の一端、面白く」
黒川光弘
著者の大山勝美氏は1957(昭和32)年、TBSに入社、ドラマの制作、演出に当たってきた。いわばテレビドラマの歴史をそのまま歩んできた人といってもいい。
とりわけ山田太一氏とのコンビによる「知らない同志」「岸辺のアルバム」「ふぞろいの林檎たち」などは史上に残る傑作として知られる。
その大山氏が80年代から2006年にかけて発表した文章をまとめたもので@テレビ業界編A人物論B講演、対談、インタビューといった構成になっている。
テレビ業界編では「いわゆる辛口のホームドラマがはやった背景には主婦が離婚ギリギリの行動をすることをおそれなくなったことがある」などと指摘する。
かと思えば新劇系のベテラン俳優が若い歌手や素人のスポーツ選手の演技にとまどっているーなどという一節も現場を知る人ならではの観察だろう。
いたって読みやすい書で、どこから読んでもテレビ業界の一端が面白く伝わってくる。一読すればテレビの見方が変わるかもしれない。
テレビが誕生して半世紀余り。著者はその初期から、「岸辺のアルバム」(TBS)、「藏」(NHK)、「長崎ぶらぶら節」(テレビ朝日)等、人気ドラマの演出・制作にあたってきた。
ネット社会の拡大により、テレビの存在意義が問われつつあるといわれる今日。本書には「テレビ時代の一証言にもなれば」という、黄金期の制作現場を知り尽くした著者の思いが込められ、多様なエピソードが満載されている。
昨今の若い世代に的が絞られた文化芸能全体に警鐘を鳴らし、21世紀のテレビドラマは、「流行」よりも日本の精神文化に沿う「不易」の要素がより必要になると説く。社会メディアとしてのテレビの重要性を改めて感じさせてくれる一冊。
指宿市生まれでTBS入社後ドラマの演出・制作に携わり、数々の名作を生み出してきた著者が、1980年ごろから2006年まで新聞などに掲載した文章をまとめたもの。放送業界への提言から、俳優論、対談までバラエティーに富む構成だ。 「プロデューサーは、人と人とのつながり、顔のひろさが何よりの武器」という。おとなしかった鹿児島での幼少時代を振り返り、取りえを磨き自信として深めることが、つきあい上手になる基本と提言する。
「人物論」の項では、「何十年に一人という逸材」と評価する松たか子さんや女優としての開眼を見守った斉藤由貴さんのエピソードも披露。また脚本家・向田邦子さんの話題にも多くのページをさいた。話の折々に同郷の人物が登場、鹿児島県民の結束の固さを物語る。