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古田織部の芸術が詰まった「織部焼」
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千利休の弟子 天下の茶人「古田織部」の生涯



歴史に興味がない方でも千利休の名前は知っていると思いますが、その千利休の後継者と目された 「古田織部(ふるた おりべ)」はご存知でしょうか。

本名は古田重然(ふるた しげなり-しげてる)と言い、戦国から江戸の時代を
生きた武将で、大名でもあり、 茶人としても有名です。

家康によって切腹を命じられ、ずっとタブー視されてきましたが、他の偉人にも引けをとらない魅力的な人物なので、織部について学んでみるのも面白いと思いますよ。

今回は古田織部の歴史についてまとめてみました。

武将としての古田織部

古田家は美濃の守護大名に仕えていたのですが、17歳で織田信長の桶狭間の戦いに使番として仕官して
以来22年間信長に仕えました。
信長の上洛に従軍し、摂津攻略に参加した記録もあります。

1576年には山城国乙訓郡上久世荘の代官に就任し、武将としての活動が始まりました。
信長の死後、豊臣秀吉に仕える事になるのですが、秀吉に今までの功績を称され、従五位下織部正に任命され、
この時から「古田織部」と呼ばれるようになりました。

茶人としての古田織部

1582年ごろの千利休の書簡に古田織部の名前が書いてあったことから、
この間に利休に弟子入りしたのだと考えられています。

古田織部の実夫である古田重定(勘阿弥)もまた茶道に造詣が深いことも
あり、古田織部も茶人としての素質が磨かれていたのでしょう。

千利休の高弟7人を指す「利休七哲」のひとりとされ、利休死後は
「天下の茶人」となるほどの腕前。

千利休の「人とは違うことをしろ」という教えを守り、静謐な利休の美とは
異なり、激しく動的で、 大胆でありつつ自由な美を確立していきました。

古田織部の死

「桃山の美濃古陶 古田織部の美」
www.choeisha.com/pub/books/54663.html

「新訂 古田織部の世界」
www.choeisha.com/sinteisekai.html

「改訂 古田織部とその周辺」
www.choeisha.com/kaiteisono.html

「千利休より古田織部へ」
www.choeisha.com/rikyukaraoribe.html


徳川家康の息子、徳川秀忠の茶の指南役として徳川家に従事していたのですが、利休の「反骨精神」
しっかりと受け継いでいた古田織部は、 江戸幕府の方針・意向を無視することもしばしば。


茶人として確固たる地位を手に入れて、茶の湯を通してさまざまな方面とつながりを持つようになり、
幕府からその影響力を危険視されるように。
豊臣家と内通していたという嫌疑をかけられ、豊臣家との 和平工作も企てたとして切腹を
命ぜられました。


「へうげもの」という漫画を皮切りに、現代では織部ブームが巻き起こっています。
その原点となるのは織部研究家・久野治氏(詳細なプロフィール、書籍紹介はこちら)。
NHK「歴史秘話ヒストリア」、BS11『とことん歴史紀行』への出演など、多方面で古田織部について語っています。
これらの本は久野氏の著書ですが、『古田織部の世界』は古田織部の世界をさらに詳しく、濃厚に知ることができるのでオススメです。