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歴史に名を残す天才仏師「運慶」の作品


仏師は仏像などの制作担当者を指す呼称で、飛鳥時代から存在が確認されています
中でも有名なのは平安時代から鎌倉時代初期に活躍した仏師「運慶」

その後の仏師に大きな影響を残していて、天才仏師として広く知られてい
ます。

今回は運慶の歴史と作品について触れていきたいと思います。





誕生


運慶は奈良仏師・康慶の息子として誕生。
「慶派」と呼ばれる仏師集団に属し、興福寺を拠点に活躍していました。

父であり師でもある康慶が始めた鎌倉彫刻の新様式を完成させた張本人でもあります。
安元2年(1176年)に完成した奈良・円城寺の大日如来像は運慶最古の作品です。
寿永2年(1183年)には、後に「運慶願経」と称されるようになる法華経の書写を完成。

これには快慶や実慶、宗慶、源慶など48名もの結縁者の名が記入されていることも分かっていて、一門をあげた写経だと考えられています。

鎌倉幕府と運慶


平家の時代は終わり、源頼朝が鎌倉幕府を開きます。

運慶は文治2年(1186年)北条時政から静岡・願成就院の本尊として阿弥陀三尊および不動三尊、毘沙門天像の造仏注文を受ける事に。
どの像も男性的かつ厳しい面相をしていて、体躯も力強く、肌を覆う衣も複雑かつ写実的に作られています。
それまでの藤原彫刻と決別した新様式の誕生だと言えるでしょう。

3年後、和田義盛からの依頼を受け、神奈川県横須賀市・浄楽寺の阿弥陀三尊像・不動明王像、毘沙門天像の造立も手掛けています。

東大寺仁王像


仏師の歴史を辿る上でも、運慶を語る上でも「仁王像」に触れないわけにはいきません。
東大寺南大門の仁王像造立は、運慶の名声を高めた作品です。
大仏師4人・小仏師16人で造立した8mを超えた仁王像は、たった70日間で完成。
この仁王像は運慶様式の完成を表し、運慶の代表作として後世にも語り継がれています。

平安後期には柔和な顔立ち、浅い衣文・肉付けが特徴的な定朝様が一般的でしたが、運慶の作品は前述の仁王像などからも判る通り、男性的かつ筋骨隆々な体躯、深く彫られた衣文が特徴です。
当時の武士の気風を反映した作品が多く、仏師たちに衝撃を与えました。

歴史において重要性の高い存在である運慶ですが、文治5年(1189年)からの7年間ほど造仏が確認できない「空白期」が存在するのをご存知ですか?


近年の研究によって、この空白期には永福寺の造像などに関わっていたことが判明しています。
確かに、この空白期で鎌倉幕府と関係を有することで、その後の関係性に合点がいく部分も多く、信憑性の高い説だと言えるでしょう。

しかし、まだまだ謎の多い運慶の歴史。この時代にロマンを感じる方も少なくないでしょう。
空白期をテーマにした小説をご紹介します。


西木暉氏著 『頼朝と運慶―誅殺の果てに―』
www.choeisha.com/pub/books/54809.html


稀代の仏師である運慶と鎌倉幕府を築いた頼朝との交流を描いた同小説を読むことで、
自然と空白期への考察が進むことでしょう。